オンラインカジノには様々なゲームが用意されているが、その中でも「カジノの王者」の異名を持つバカラは、その異名にふさわしい一番人気を誇っている。
バカラはギャンブルとしての魅力もさるところながら「投資先」としても注目されている。
それは、バカラの持つ特徴がオンラインカジノの他のギャンブルに比べて「投資」という感覚を若干強く引き出すためかもしれない。
一方、投資の感覚でスロットを打つ、というオンラインカジノのプレイヤーはほとんどいない。
バカラというゲームに「投資」の感覚がもたらされる理由としては、還元率がオンラインカジノの中でも相対的に高いこと、勝率がほぼ半々であること(”投資”として強く認識されているバイナリーオプションのような感覚がもたらされること)、ゲームの時間が短いことなどが挙げられるだろう。
この「投資」としてのギャンブルの魅力だけが、しかし、バカラの魅力なのではない。オンラインカジノのプレイヤーは、ただただ「情報」を楽しんでいるのではない。
株価のような勝率を予想する折れ線グラフを見て楽しむのではなく、オンラインカジノのプレイヤーは、あくまで全身的な体験、身体的快楽をもたらす「一瞬の遊び」としてのギャンブルを楽しんでいる。この身体性にこそ、バカラとスロットの差分があらわになる。
今回は「投機的な魅力」を持つバカラの投資先としての魅力と「全身的な魅力」を持つバカラのフィジカルなギャンブルとしての魅力を投資の観点から眺めつつ、バカラと比べた場合のスロットの相対的な不人気の原因を探っていくことにしよう。
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還元率を考慮するとバカラがもっとも投資に近い
投資は「還元率(ペイアウト率)」という考え方を持たない。しかし、株式投資にもし「還元率」という考え方を導入した場合、株式投資と近い「還元率」になるのは、オンラインカジノにおいてはバカラである。
まず、株式投資というものは基本的には「ゼロサムゲーム」といわれており、この「ゼロサムゲーム」という言葉は、誰かが10000円儲けたら別の誰かが10000円損失をし、全体のプラスマイナスがゼロになる、という仕組みになっているマネーゲームを指す言葉だ。
これは、オンラインカジノのカジノに当てはめると「還元率100%」に該当するのではないかと思う。
投資の還元率とほぼ重なるオンラインカジノのバカラ
株式投資の場合は、ここで証券会社に手数料を支払うことになるため、それを「ゼロサムゲーム」から差し引きすれば、おおよそ98%の還元率といったところが妥当だろう。
さて、ここでバカラの還元率であるが、バカラの還元率は98%~99%の間を変動している。
バカラがギャンブルでありながら「投資先」と見なされる傾向があるのは、この還元率と、株式投資の「ゼロサムゲーム」との親近性に要因があるのかもしれない。
ちなみに、スロットの還元率は85%~95%となっているが、この数値だけでも、スロットを「投資先」と見なすプレイヤーがバカラに比べて少ないことの意味がわかるように感じられる。
株式投資から見た場合のバカラの短期性
「還元率」の観点から見た場合に株式投資とバカラに親近性があるとしても、株式投資とギャンブルの間には「長期的」か「短期的」かという決定的な違いがある。
バカラは投資に特有の「長期的」な視野というものを持ちにくいきわめて「短期的」なギャンブルである。
再び「還元率」という考え方を持ち出すならば、株のゼロサムゲームの還元率100%というのは、株を一年間保有した場合は、一年後に107%程度に上昇する(資金回収が期待できる)ものである。
この「保有していること」によって資金を回収していく「還元率」ともいえるものが上昇する可能性がある、というのが、投資とオンラインカジノにおけるバカラの決定的な違いである。
となると「長期的」なスロットが投資先として扱われそうなものだが、そうはなっていない。このスロットの問題については後述する。
バカラでは軍資金を保有しても増えることはない
バカラの場合、当然ではあるが、いくら「軍資金」をプールしておいたといっても、株式のように、軍資金が増えるということは原則としてありえない。
バカラで資金をより多く手に入れるためには「ベット」が必要であり、その都度その都度の「勝負」と「勝利」が要求される。
株もつねに「勝負」と「勝利」の世界ではないか?と言われるかもしれないし、もちろん首肯できる部分もあるのだが、投資は「勝つための保有」があるという点で、やはり「勝負による勝利」が前提条件となるバカラとは決定的に違う。
バカラを投資先として見ていくための長期的感性の導入
バカラは「スピードバカラ」という名前もあるほどだから、基本的に短期的なものであるが、もちろん、この短期性に、投資特有の「長期的」な感性を導入することは不可能ではない。
このことを考えていくためには、オンラインカジノというのが、実は、短期的なものであると同時に、実は「一年間での遊び」であるということを思い出すといいだろう。
どういうことか。オンラインカジノというのは、一回の勝ち負けだけで収益が決定される遊びなのではなく「一年間の収支」を確定申告し、所得税に足して税金から差し引かれるところで、収益が確定する長期的なスパンを持った遊びなのである。
要するに、バカラというゲームは、瞬間的な快楽に満ちた短期的なゲームとして遊ぶか、手持ちの軍資金を一年間かけてどの程度のプラス収益に持っていけるかという長期的なゲームとして遊ぶか、という選択によって、その賭け方や戦略などが変化するゲームなのだ。
長期的感性の導入によって短期的バカラの凶悪性から身を守る
むしろ、この「長期的な投資としてのバカラ」という考え方は、バカラという「短期的」なゲームの根源的な恐ろしさ、凶悪な牙から身を守るために有効な策にさえなりうる。
バカラの短期性は、プレイヤーの軍資金を一気に飲み込み「還元率の高さ」などとは無縁の容赦なさをあらわにし、プレイヤーをあっという間に丸裸にし、一気にマイナスにまで持っていく側面を持っている。
「一年間の収益を確定申告する」という年間のスパンを見据えながら、短期性の強いバカラを長期的にプレイするという考え方は、バカラの「金吸い」の魔力から身を守りながら一回一回のゲームを遊ぶためのストッパーとして大いに役に立つはずだ。
あくまでバカラは「ギャンブル」であり「投資」ではなく、比喩でしかないのだが、それが比喩であっても「投資」で戦略的な撤退とされている「損切り」の考え方をインストールするだけでも、バカラでの身の破滅は回避しやすくなる。
バカラの短期性と正反対のスロットの長期性
スロットは、オンラインカジノのなかでもっとも「長期的」な遊びが期待できる「長くゆるやかに遊べるゲーム」であり、バカラの「一瞬で終わるゲーム」とは対照的な関係にある。
となると「投資先」という考え方を導入するならば、スロットを選ぶほうが正解なのではないか、と思いそうになるのだが、冒頭に書いたように「投資先」という感覚でスロットを遊ぶプレイヤーは少ないという傾向がある。
バカラの面白くも難しい魅力は「短期的」なゲームであるために投資先としての適性が希薄ながら、還元率重視で見た場合においては「投資先」としての魅力が増すというところにある。
また「投資」という感覚を持つことによって、バカラの持つ短期性の「魔」から身をそらせるということは前段で書いた通り。
一方のスロットは「長期的」なゲームであるために投資先としての適性はバカラよりも満たしているのだが、還元率として見た場合に「投資先」としての魅力がバカラには及ばない、ということがあるだろう。
バカラとスロットのフィジカル面での魅力の差
最後に投資的な観点から少し離れて、ギャンブルにおける「フィジカル」な側面について考えていくために、バカラとスロットとの比較をしていくことにしよう。
オンラインカジノのなかでバカラが一番の人気を誇り、スロットの人気が相対的には劣っている理由としては「還元率」などに左右される「投資感覚」とはまた別の場所にあることが指摘できる。
バカラ(リアルカジノ)と、オンラインカジノにおけるスロットの最大の違い、そして魅力の差ともなっている要素は、結局のところ「人間(ディーラー)を相手にしているかどうか」という単純なところに落ち着くのではないだろうか。
バカラは「ギャンブルの身体性」が大きな醍醐味
ギャンブルを楽しみたい人間というのは、単に数字が上下していく「情報」で満足するのではない。ギャンブルというのは金融の「情報」である以前に、そもそもはフィジカルな「全身的な体験」なのだ。
ギャンブルの「場」に集まった人間たちの全体からたちのぼる呼吸のようなもの、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚を総動員して楽しみたいと考えている人種だ。
もちろん、実際のカジノという「場」にある五感のすべてを、オンラインカジノが再現できているとはいえない。
しかし、ライブカジノのバカラは最大限の努力を通して、視聴覚を活用し、実在する人間(ディーラー)の介在によって触れることのできない触覚感覚、ゲームの流れを左右する嗅覚的な要素、緊張感がもたらす唾液などの味覚感覚までをも揺さぶろうという配慮がある。
スロットに欠けていてバカラに満ちている身体性
この身体に直接訴えかける感覚というものを、オンラインカジノのスロットの、プログラムされた「情報」は持ちうることができない。
この五感、身体的な満足という「フィジカル」の側面で「人間不在」のスロットは、バカラにはるか及ばない。それが、スロットとバカラの人気を二分しているのは間違いないことだろう。
ここであらためて「投資」にも話を戻すならば「投資」というのは、本来、人間の営みのなかで、もっとも「非身体的」な営みの一つである。
つまり、バカラを「投資先」として見なす、ということは、本来「非身体的」な経験でしかない「投資」に「身体性」を加えるという離れ業である。
この本来結びつかなかった要素の結びつきと掛け算が、人をバカラに熱狂させる理由ともなっているだろう。
スロットが「投資先」として適性を持ちながら、そのような遊び方がなされないのは、結局のところ「非身体的」であるスロットに「非身体的」な投資の感覚をいくら組み合わせたところで、そこにギャンブルの快楽として不可欠な身体性が発生しないからではないだろうか。